全3幕で構成される本作の3幕目を書いている途中にベルクは急死した。そのため本公演のように完成した2幕までを上演するケースと、他者が補筆した3幕版で上演するケースがある。
ここで注意すべきは、ベルクが本作を特別シンメトリカルに構成したことだ。(第3幕の素材が残っているので分かる)
象徴的には、第1幕に登場するルルの3人の夫役が、第3幕では路上売春婦となったルルの3人の客役として再登場する。そして、ルルは3人目の夫を殺し、同じ役が演じる3人目の客に殺される。
ところで本公演でルルは、経済的に養なわれている相手=所有者の好み次第に次々と姿を変えるラブドール的存在者として描かれた。そして最後に、そのラブドールが初めて自分自身の魂と出会うというハッピーエンドで終わった。3幕版の殺されて終わるバッドエンドをひっくり返したわけだ。
同じような演出を少し前にMETライブビューイング『サロメ』でも観た。そこでは最後にサロメを殺す指示を出す養父ヘロデ王が逆に急死し、その横をサロメがルンルンと歩き去っていく演出だった。
「殺される女の物語」が「自由を獲得する女の物語」に塗り替わる。実に現代的だ。ここに大きな意味を感じる人もいるのだろう。しかし、これによって本公演ではベルクがこだわったシンメトリカル構造が消えてしまった。
そこで考えたいのが、ベルクはなぜシンメトリックにこだわったのか?ということだ。
私は彼の前作『Wozzeck』でも示された循環構造を考える。つまり「これと同じことがこれからも繰り返されるだろう」というメッセージだ。社会が生贄を消費する。おそらく社会が始まった時からこのことは変わらない。変わるのは時々の生贄の属性だけだ。つまり「現代的」というのは生贄が女から男に変わった(だけ)ということだ。
ルルをラブドールとして描くコンセプトは良かったと思う。また、若き指揮者オスカー・ヨッケルの音楽作りも見事だった。だから3幕版で観たかった。
付:ラブドールが主人公の物語としては是枝裕和の『空気人形』が思い出されるが、こちらは魂を得たラブドールが消費された後にゴミとして捨てられる物語だった。本来のルルの物語に近い。