John Adamsを聴く

19世紀後半、撮影・蓄音・電信の発明および運輸の発展によって娯楽が大きく変わった。

舞台が映画に変わり、絵画が写真に変わり、演奏がラジオとレコードに変わった。そして残された表現者たちの一部は、当時の複製技術では扱いにくい表現で生き残りを図った。これがいわゆる「現代アート」というものだろう。

音楽の場合、当時のオーディオセットで再生できる音は生音とは比較にならなかったから「響き」が主役となり、これが今に続いているではないかと思う。

現代の高級オーディオセット(にも色々あると思うが)がどれほど凄いか分からないが、音響を売りにする近年の映画館の音などを聞く限り、今もコンサートホールでの多彩な響きをそのまま味わうことは難しいのではないか。

なぜなら、再生できる音域や解像度が問題なのではなく(おそらくこのあたりは既に人間の限界を超えているだろう)、聴き手の視覚的影響や心理状況によって聴こえる音が、あるいは全体的な「体験」の質が変わると思うからだ。(将来的にはVR技術等によって、このあたりにも手が入るのだろう)

Google Geminiに訊くと、現在の音楽市場全体におけるクラシック音楽のシェアは約1%で、そのなかの現代音楽のシェアは約10%、つまり音楽市場全体の約0.1%程度らしい。

意味不明、敷居が高いなど、現代音楽は人気がないわけだが、思うにiPod的スピーカーはもちろん、本格的なオーディオで聴いても、おそらく現代音楽の魅力はあまり伝わらない。かと言って、世界中のほとんどの人にとって気軽にホールに聴きに行ける状況でもない。

そんななか、現存の作曲家のなかで最高だと思うアダムスが2年連続で来日し、都響と組んで自曲を演奏してくれるのだから正に「有難き幸せ」であり、しかもその演奏は期待どおりの美音の洪水で、素晴らしい時間を味わった。

https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=4079

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